兵庫県豊岡市竹野町轟 366 蓮華寺は但馬西国の札所として幽すい静寂なる山のたたずまいは、その形ち蓮の花に似たるより山号を八葉の峰山と称し、奈良時代(慶雲四年)の開創にして四明光賀律師、中興の祖となりて堂塔を整え、更に鎌倉時代東密教学大成の学匠杲宝(ごうほう)僧正京都東寺より来たりて山内に七堂伽藍...
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兵庫県豊岡市竹野町轟 366 蓮華寺は但馬西国の札所として幽すい静寂なる山のたたずまいは、その形ち蓮の花に似たるより山号を八葉の峰山と称し、奈良時代(慶雲四年)の開創にして四明光賀律師、中興の祖となりて堂塔を整え、更に鎌倉時代東密教学大成の学匠杲宝(ごうほう)僧正京都東寺より来たりて山内に七堂伽藍塔頭八坊を整備し山外10㌔の南、門谷地区に総門を造立し奥竹野より奥佐津、豊岡市江野に亘りて数十余の門末坊舎を配し雄大なる気宇の基に真言の教法宣布して地方教化の中心となり、但馬高野の名称をほしいままにせるも、千三百年の歳月は幾多の変遷をもたらし堂塔鳥有に帰して古の面影を失わしなわしむ、されど本尊大悲、山内諸天善神の加護と後西天皇、宝鏡寺の宮の外護を得て今日に至る。