神明の花火大会 2022
甲州市川の花火は、武田氏時代の「のろし」に始まるといわれています。
武田氏滅亡後、徳川家康は信玄のすぐれた技術を積極的に取り入れました。
市川の花火師たちも徳川御三家に仕え、花火づくりに専念したといわれています。
また「神明の花火」は、同じ地場産業である和紙に深いつながりがあります。
平安時代、まだ山梨が甲斐の国だったころ…
源義清(甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の子)が甲斐の「平塩の岡」(現在の市川三郷町内)に赴任し、館をかまえました。
その時に京都から紙漉き名人の甚左衛門が従ってやってきました。
甚左衛門は、美しい紙を漉く技術を市川の地に伝え、人々の暮らしを豊かにしてくれました。
後になり、和紙に対する功績を称え、甚左衛門を神明社(紙の神様をまつる社)にまつりました。
そして命日にあたる7月20日を神明社の祭りの日と定め、盛大に花火を打ち上げました。
これが「神明の花火」のはじまりと言われています。
神明の花火は江戸時代の元禄・享保(1688~1736年)頃から、いっそう盛んになり日本三大花火の一つとされ、賑わいました。
「七月おいで盆過ぎて 市川の花火の場所であい(愛・会い)やしょ」とうたわれ、恋人たちの出会いの場としても親しまれてきたそうです。
市川で一緒に花火を見ると幸せになれると言い伝えられています。
いつしか神明の花火の歴史も途絶えてしまいましたが、時を超え平成元年8月7日、神明の花火は山梨県下で最大の規模をほこり現在によみがえりました。
2万発の大輪の花が夜空を彩り、受け継がれてきた伝統が雄大に輝き続けています。
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【概要】
令和4年8月7日(日)
荒天の場合8日、9日に順延(雨天決行)
午後7時15分から午後9時まで(天候により変更あり)
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